監視社会の進展の中で共謀罪の廃止を展望する「人質司法」は、いまや日本の文化 ? ゴーン事件を契機に、まずはみずからの人権状況を知ることから始めよう

2019年10月13日

王様化する最高裁に対する事実と法論理による反撃

王様化する最高裁に対する事実と法論理による反撃

岡口基一裁判官著『最高裁に告ぐ』書評
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1 分限裁判から裁判官訴追請求の対象に

最高裁による分限裁判で戒告処分とされた岡口裁判官が最高裁への批判の書を岩波書店から出版した。岡口裁判官は、厳重注意、分限裁判に引き続いて、国会の訴追委員会からも喚問を受けるという事態となっている。弾劾裁判で罷免された裁判官は少なくとも5年間、法曹資格も失い、資格回復の裁判で認められない限り弁護士登録することもできないのである。つまり、岡口裁判官は、法律家として仕事を続けられるかどうかの岐路にまで追い詰められている。

そんな厳しい状況の中で書かれたにもかかわらず、この本は、とても明るく、おもしろい。一般市民が読んでも、法律家が読んでもおもしろいだろうと思う。岡口裁判官自身が、この本のできた経過を次のようにブログにまとめている。

 「最高裁に告ぐ」の最初の原稿は、ただの岡口分限決定の論点解説でした。

しかし、担当者との時間をかけたキャッチボールの中で、最初の原稿は、わずか10分の1程度にまで凝縮され、全く違う内容の本になりました(^_^)

前半はノンフィクションならではのドキュメンタリー、後半は話をどんどん掘り下げて、司法の問題点を探る内容に。

作品って、こうやって、担当者との共同作業で創作するんですね(^_^)。初めて理解しました。」

 もちろん、裁判所内部の陰湿ないじめというべき前半も興味深いが、特に、私にとっては、後半の司法の現状の批評が興味深かった。 

2 自らの分限裁判への体験に即して

岡口裁判官が、自らの経験した厳重注意と分限裁判の過程をあくまで客観的にレポートした部分が半分程度に及ぶ。第1部が前史、第2部の分限裁判が、それに当たる。第3部が「変貌する最高裁、揺らぐ裁判所」、第4部が「司法の民主的コントロールは可能か?」という構成となっており、後半は司法のあり方に対する批判となっている。

 岡口裁判官は、司法と裁判のあり方についてツイッターでの発言を続けてきた。そのツイッターの中で、岡口裁判官は、非論理的な司法判断、政府に迎合するような司法判断、たとえば沖縄の基地問題をめぐる司法判断や原発の稼働を安易に認めるような決定に対して、鋭い批判を展開してきた。

裁判官自らが「同僚としての批評」(ピア・レビュー)として裁判批判を展開してきたのである。このような言論活動は、海外では珍しくない。日本では珍しく、司法判断を市民が検証する上で、大変有用であり、とても貴重な発信であった。私も含めて、多くの市民が、岡口裁判官のツイッターをフォローしてきた。そのツイッターが、なぜかロックされて読めなくなっているのは、残念である。

 裁判所が問題としたツイートは次のようなものであった。1件は,女性が性犯罪に巻き込まれ殺害された刑事訴訟の判決が掲載された裁判所のホームページ(裁判所の内規に反して誤って掲載されたもの)のリンクを貼り付けた上で,「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男」「そんな男に,無残にも殺害されてしまった17歳の女性」とコメントしたツイートである。このツイートに対しては,東京高等裁判所長官から厳重注意がなされただけでなく、裁判官訴追委員会でも問題とされている。

しかし,誤って本来公表すべきでない判決を公表してしまったのは裁判所のミスであり,同裁判官はこれを引用してコメントしただけなのである。被害者遺族の感情への配慮が足りなかった部分はあるかもしれないが、訴追の対象とされるような「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。」とか、「職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」とは到底考えられない。

もうひとつは,犬の所有権が争われた興味深い民事訴訟の判決について,「公園に放置されていた犬を保護し育てていたら,3カ月くらいたって,もとの飼い主が名乗り出てきて,『返してください』」「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?3カ月も放置しておきながら…」「裁判の結果は…」と記載した上で,ヤフーニュースの判決報道記事のリンクを貼り付けたツイートである。このツイートについては,最高裁判所の分限裁判を経て,戒告がなされた。
 
決定は、「本件ツイートには、上記飼い主が訴訟を提起するに至った事情を含む上記訴訟の事実関係や上記飼い主側の事情について言及するところはなく、 上記飼い主の主張について被申立人がどのように検討したかに関しても何ら示されていない。」とし、このツイートは、裁判官が、その職務を行うについて、表面的かつ一方的な情報や理解のみに基づき予断をもって判断をするのではないかという疑念を国民に与えるとともに」、「当該原告の感情を傷つけるものであり」、「裁判官に対する国民の信頼を損ね、また裁判の公正を疑わせるものでもある」と判示している。

しかし、ツイートする場合には、140文字という厳しい字数制限があるのだ。訴訟の事実関係や上記飼い主側の事情について言及することなど、最初から不可能である。最高裁の裁判官は、ツイッターという表現手段の根本的な制約を理解していないように見える。このツイートは判決内容を詳しく紹介したウェブサイト(ヤフーニュース)上の報道記事を引用している。だから、ワンクリックして、こちらを読めば、事実関係や飼い主側の事情もわかり、訴訟が飼い主側の勝訴となったことがわかる仕組みとなっている。

要するに、岡口裁判官は、一つの興味深い民事判決の判示内容を広く市民に知らせようとしただけであり、判決に関するヤフーニュースの記事の予告編を書いただけなのである。本書では、このような厳重注意と戒告の処分が、どのような手続きで進められたのか、当事者である岡口裁判官には十分な弁明の機会が与えられなかったことが克明に描かれている。とりわけ、林道晴東京高裁所長が、岡口裁判官に「ツイッター自体を辞めろ」と迫っていたことがわかる。 

3 裁判官の表現の自由の限界

裁判官が、市民として、表現の自由をもっていることは当然である。もちろん、裁判官ではなくとも、人の名誉を毀損するような表現をするこの自由はないし、裁判官の職責から、その自由は一定の制限を受ける。たとえば、裁判官が自らが現在担当している事件について、裁判外で意見を述べるようなことは原則として、認められない。しかし、ヨーロッパ人権裁判所の最新の判決例の中には、裁判官の独立が侵害されようとしている特殊な状況の下では、自らの担当事件について報道機関にコメントするようなことも認められるとした例もある(WebRonza 海渡雄一「裁判官の市民的自由の保障こそ司法の独立の基礎だ」2018年10月27日 に掲載したロシアのクデシュキナ判事に関する判例がそれである。)
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018102400003.html
 岡口裁判官は、自らの担当事件には全く言及しておらず、そのツイッターの中には、その職責と矛盾するようなものはない。
 

4 最高裁の王様化が進んでいる

 後半の第3部、第4部があることにより、この著書は厚みを増したといえるだろう。岡口裁判官のような自分の意見をはっきりと持ち、それを臆せず発信する裁判官が、今の司法の中でどんどん減っていて、だからこそ攻撃の対象とされているのだという、司法をめぐる現状が理解できる。
 岡口裁判官は、第3部の冒頭で、最近の最高裁判例のいくつかを取り上げて、具体的に批判している。
 NHK受信料判決、金沢市役所前広場事件、君が代再雇用拒否事件、マンション共用部分不当利得返還請求事件、ハマキョウレックス事件が取り上げられ、現在の最高裁の判断が、現場の裁判官の実務感覚と大きくずれて「王様化」しているのではないかと論じている。

たとえば、君が代再雇用拒否事件(2018年7月19日判決)についての岡口さんの指摘は次のようなものだ。

もともと、最高裁は、11年から12年にかけて、日の丸・君が代訴訟で相次いで判決を言い渡し、起立斉唱の職務命令自体は憲法に反しないとしつつ、「思想・良心の自由の間接的な制約となる面がある」と述べ、戒告を超えて減給や停職などの処分を科すことには慎重な姿勢を示していた。入学式や卒業式で君が代が流れる際、起立せずに戒告などの処分を受けた都立高校の元教職員22人が、それを理由に定年後の再雇用を拒まれたのは違法だと訴えた裁判で、最高裁は、再雇用はいったん退職した人を改めて採用するもので、その決定にあたって何を重視するかは、雇う側の裁量に任されるとして、原告勝訴の高裁判決を逆転敗訴としたのである。都立高では9割の職員が再雇用され、戒告よりも思い減給や停職の処分を受けた者も再雇用されていた。高裁が重視したこのような事実関係をどのように考慮したのか、最高裁は結論を示すだけで、何の判断基準も示していないのである。

そして、このように最高裁の判断が、理由を示さず、唐突に結論だけを示す傾向を「王様化」と指摘しているのである。私たち、在野法曹の感じている違和感に、論理的なすじみちを示した意見といえるだろう。そして、岡口さんは、その原因が最高裁の憲法判断の歴史、その仕事量、さらには裁判官の選任方法の変化に起因するのではないかと論じている。
 さらに、4部では、民事事件の審理にあたる裁判官の能力が全般的に低下していること、それが裁判官養成の過程、とりわけ司法研修所教育の形骸化に原因しているのではないかとも述べている。
 いずれも、裁判所の中にあって、日々裁判の実務を重ねながら思索を深めてきた裁判官でなければ論ずることのできない貴重な意見である。
 

5 司法までが政権にひれ伏すようになれば、民主政治は回復できなくなるだろう
 今の日本の司法は、自らの官僚主義と、政府からの圧力によって、市民の人権を保障するという機能が劣化しているようにみえる。このような危機に立つ司法にとって、岡口裁判官は、その危機の進行を組織の中から我々に知らせてくれる「坑道のカナリヤ」のような存在だ。
 今後も、日本の司法の民主的コントロールのために、岡口裁判官が、裁判の営みを続けられること、そして、その仕事の中で感じた司法の問題点を発信し続けられることを願ってやまない。

この本は、アマゾンの司法部門のベストセラー1位となった。岡口裁判官を最高裁と心ない訴追委員会の一部国会議員たちからかけられた理不尽な攻撃から守るために、1人でも多くの方が、この本を読んで欲しい。




yuichikaidoblog at 01:30│Comments(0)憲法 | 最高裁

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