ティム・ロビンス

2019年10月14日

CODE46 監視社会の中で人は愛し合えるか?

CODE46 
  
監視社会の中で人は愛し合えるか?

                       海渡雄一
code46

(この映画評には映画のプロットが記されていますので、ご注意ください。)

 

「外」と「内」に分断される世界

この映画は、マイケル・ウィンターボトム監督が、監視社会の非人間性をSFの形で描いた傑作である。

舞台は、近未来の上海である。「内」には摩天楼がそびえ立ち、文字通りの未来世界である。しかし、周辺地域「外」は、中世の中国のままの貧しい世界が拡がっている。「外」から「内」に入るには、「パペル」と呼ばれる滞在許可証が必要である。ヒロインのマリアは、この「パペル」製造工場で働いている。

この世界では、クローン技術が進展し、遺伝子管理が究極まで厳格化されている。CODE 46により、100パーセント、50パーセント、25パーセント同一の遺伝子を持つもの同士の婚姻は禁じられ、計画外の妊娠はチェックされ、同一遺伝子同士の胎児は強制的に中絶される。故意のCODE 46違反の妊娠は重大な犯罪である。劇中でも、結婚する予定のカップルが遺伝子の検査に訪れて、「結婚可能」の判定を受けるシーンが描かれる。

 

違法パペル調査員の男と違法パペル偽造者の女の出会い

ウィリアム・ゲルド(ティム・ロビンス)は、セキュリティ会社ウェスターフィールド社の調査官である。スフィンクス社で製造されている滞在許可証『パペル』の偽造の調査のため、近未来の上海を訪れる。ゲルドは、『共鳴ウイルス』を体内に保持していて、他人が考えていることを読み取る能力を持っている。そして、シアトルで、妻、息子と共に「幸せ」に暮らしている。

 一方、マリア・ゴンザレス(サマンサ・モートン)は、スフィンクス社のパペル製造部門で働く女性である。しかし、違法パペルを作り、これを、自由を求めて海外出国を望む人々に渡している。マリアは、『外』と呼ばれる地区の出身で、若い頃に両親と別れている。

調査官のウィリアムは、違法パペルの偽造について調べるため、上海に出張する。都心に入るためには都市の『内』と『外』を隔てる検問所を通らなければならない。『内』と『外』での暮らしには天地ほどの差がある。検問所周辺には「内」に入るためのパペルを手に入れようとする人々が、旅行者に近づいて集まっている。上海に入る検問所で、ウィリアムは物売りの一人の男性からパペルをくれと要求される。

スフィンクス社で働くマリアは、毎年の誕生日に、決まって同じ夢を見る。夢の中で、マリアは電車に乗っており、毎年一駅ずつ通過し、今年は終点に辿り着くことになる。夢の結末を恐れるマリアは、誕生日の今夜は眠らないでいようと決心する。

ウィリアムは、違法パペルの調査に訪れたスフィンクス社のゲートで、マリアと出会い頭にぶつかりそうになる。

 

マリアが犯人であることを見抜きながら見逃すウィリアム

ウィリアムは、社長のバックランドから違法パペル偽造の容疑者リストを受け取る。ウィリアムは数人の容疑者を次々に聴取し、その中からマリアが犯人だと見抜く。しかし、マリアに惹かれていたウィリアムは社長に犯人はマリアではないと報告する。

スフィンクス社から家に帰る途中マリアは、尾行するウィリアムに気付いて近づき、「私を監視してるの」「私に気があるの」と声をかける。ふたりは中華料理屋で食事する。「なぜ、盗んだ」と聞くウィリアム。「お金のため、なぜ私のために嘘をついたの」と返すマリア、二人の距離はみるみるうちに近づいていく。

 

越境する自由の輝き

一緒に食事をとったあと、マリアはウィリアムを連れてクラブへ行く。この場末のクラブでは、クラッシュのミックジョーンズ(本物です ! )が「Stay or Go」を歌っているところで、ウィリアムの見ている目の前でマリアは知人のデミアンに違法パペルを手渡す。「これで旅立てる。デリーで最高のコウモリを見るんだ」と明るく話すデミアン。

ここで、マリアは、違法パペルを飲み込んで外に持ち出すやり方までをウィリアムに教える。ウィリアムは、マリアを自宅まで送る。マリアは自宅にウィリアムを招き入れる。マリアの家にはたくさんの植物が育てられていた。マリアはウィリアムに父母や今まで違法パペルを渡した人々の動画のアルバムを見せる。そして、彼らの顔が好きだという。まさに違法パペルを手にして旅立つ彼らの顔は「自由」に輝いているからだ。そして、マリアは、ウィリアムが彼らに少し似ているという。

マリアがうたた寝をしている間、ウィリアムは一枚の違法パペルを発見して入手する。目覚めたマリアはウィリアムにキスをし、二人は愛し合う。マリアの自然な表情がこのうえなく美しい。

翌朝、パペルの密売は良くないと責めるウィリアムに対して、マリアは「あなたは「外」で生活したことがあるか?」と問う。言い返せないウィリアム。

 この映画は「自由」について描いた映画であるが、サマンサ・モートンという中性的な希有な「自由の象徴」のような存在がなければ、全く説得力を持たなかっただろう。

翌朝、滞在パペルの失効が迫り、ウィリアムは別れを悲しむマリアと別れて空港へ向かう。検閲所で、ウィリアムは昨日会った物売りの男性に違法パペルを与える。彼に「自由」を与えるために。

 

記憶を消されたマリアと再会するウィリアム

シアトルに戻ったウィリアムは、マリアに連絡を取り続けるが、マリアからは何の返答もない。そんなある日、コウモリ研究家のデミアンがデリーで感染症にかかって死亡したとの報告がウェスターフィールド社に届き、上司からこの件の調査を命じられる。ウィリアムはいったんは断るが、再び上海へ赴くこととなる。

ウィリアムは、スフィンクス社を訪ねるが、マリアが休職していると知らされる。ウィリアムはマリアの自宅を訪れるが、マリアはいない。マリアが『マオ・リン・クリニック』に予定を入れていたことを突き止める。

クリニックを訪ねたウィリアムは、担当者にマリアのことを尋ねるが機密事項だとして何も答えない。しかし、担当者の心を読んで、マリアが妊娠し、CODE46に抵触したために『外』の病院に移送されたことを知る。

ウィリアムは『外』の病院へ行き、厳重な監視のもと、マリアと面会する。マリアはウィリアムのことを覚えておらず、デミアンのことも、違法パペルについても覚えていない。CODE46に従い、マリアは強制的に中絶手術を施され、今回の妊娠の相手と妊娠の記憶を全て消されていたのである。

 

記憶を取り戻すマリア、運命から逃げようとするウィリアム

ウィリアムは、マリアの身元を引き受け、マリアの自宅へ連れ帰る。ウィリアムは、マリアにデミアンの動画を見せる。その動画にはウィリアムも写っている。マリアは以前にウィリアムと出会っていたことを知る。

マリアが眠っている間、ウィリアムは遺伝子鑑定所へ行き、マリアの髪から採取した遺伝子と自分のものを照合する。マリアのDNAはウィリアムの母親のDNAと全く同じで、マリアは母親のクローンであることが判明する。遺伝子学上、マリアはウィリアムの母か母の姉妹ということになり、二人の関係はCODE46の重大な違反となる。ショックを受けたウィリアムは、マリアに黙って帰国しようと空港へ向かう。しかし、何故かウィリアムの滞在パペルの有効期限が切れているため出国できない。

 

運命の逃避行

ウィリアムはマリアのもとへ戻り、助けを請う。以前に検閲所で男性に渡した違法パペルが原因で、ウィリアムは出国を制限されたのである。スフィンクス社に出勤したマリアは、出国専用の違法パペルを入手して、シアトルに帰ろうとするウィリアムが待機する空港へ向かう電車の中で、マリアは誕生日の夢の結末に気付く。マリアとウィリアムの出会いは、避けることのできない運命だったということを。

マリアは、ウィリアムに違法パペルを手渡し、「あなたのことを思い出したわ」と告げる。ウィリアムは妻と息子の待つシアトルに戻るのをやめ、運命に身を委ねて、マリアとともにマリアの生まれ故郷である中東の街ジュベル・アリへと出発する。

 

監視テクノロジーに遮られる愛

『外』にあたるジュベル・アリで、マリアとウィリアムは運河を船で旅し、街中のホテルで愛し合おうとする。

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 しかし、マリアに投与されているウィルスのために二人はキスしようとしても拒否反応が起きてしまう。マリアの手足をベッドに縛り付け、ようやく二人は愛し合うが、翌朝、目を覚ましたマリアは、ウィルスの作用で、無意識のまま自分達のCODE46違反を通報してしまう。ウィリアムは全財産をはたいて、中古車を入手し、マリアを連れて砂漠へと逃げる。ラクダの群れを避けようとして、砂漠で車が横転し、二人は当局によって逮捕されてしまう。

ウィリアムは、マリアについての一切の記憶を消去され、シアトルに送り返される。病院で妻のシンディーと息子に迎えられ、ウィリアムは上海で仕事中に交通事故を起こしたという記憶だけを作られて、「平和な」家庭へと帰りつく。

映画の最後、マリアの記憶を消されたウィリアムはシアトルの快適な家のベッドで、妻と「愛」しあう。マリアは、『外』へ追放され、砂漠をさまよいながら、「I miss you」とつぶやく。なんと悲しい結末だろう。

 

監視社会に抑圧される自由の輝きの一瞬

 この映画は、世界が豊かな先進社会と貧しい第三世界にますます格差を広げ、監視社会の度合いを強めている現代世界の救いがたい非人間性を描いた映画ではあるが、他方で、人が人を愛すること、そして自由の貴重さと輝きを描いた映画であるともいえる。サマンサ・モートンとティム・ロビンスという希有な才能が、自由が制約されればされるほど、どんなささやかな自由も限りなく貴重なものとして輝きを増すことを、切ないほどリアルに描いた。

また、映画の中で、違法パペルを取得して自由を獲得した人々の多くが、ウィルスに感染して死亡する。このことは、自由は「危険」を内包していることの寓意だろう。「安全」を追い求めることは、人々に自由を放棄させる。危険と同居する自由を求めるか、安全の名の下に自由を放棄するかを、私達の生き方を映画は問いかけているのである。

私たち人間は自由であり、危険な世界の中で、互いに傷付きながら、絆を結び、意味のある人生を生きようとする存在なのだ。映画の後半で、マリアは「なにかがなくなっている」と、家の中を探し回るシーンがある。マリアは、ウィリアムとの愛を、そして自由そのものを探していたのだろう。私たちも、現代社会の中で何を失っているのか、考えるきっかけを与えてくれる映画である。

 

2003

監督:マイケル・ウィンターボトム
キャスト:サマンサ・モートン、ティム・ロビンス、ジャンヌ・バリバール、オム・プリ

 



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