代用監獄
2019年10月13日
「人質司法」は、いまや日本の文化 ? ゴーン事件を契機に、まずはみずからの人権状況を知ることから始めよう
「人質司法」は、いまや日本の文化 ?
ゴーン事件を契機に、まずはみずからの人権状況を知ることから始めよう
海渡雄一(弁護士)
3月5日、東京地裁の保釈決定で保釈されたカルロス・ゴーン氏は、再び別件で逮捕された。
ゴーン氏は、日産自動車の資金5億円超をオマーン経由で自身に還流させて会社に損害を与えたとして、会社法違反(特別背任)で追起訴された。
ゴーン氏は、4月25日に再保釈されたが、保釈条件には妻キャロルさんとの接触制限も付いたとされる。
これらの事件を契機として、日本の刑事拘禁制度に国際的な注目が集まっている。本稿は、カルロス・ゴーン事件の罪に問われている事件の内容について論評するものではない。そもそも人質司法とはどういった問題なのか、なぜこのような制度が温存されてきたのか、それを支える世論はどのようしてつくられたのか、それを変える力はどこにあるのかについて考えてみたい。
海外メディアは、なにを問題にしているのか
ゴーン氏は、まず、昨年11月19日に金融商品取引法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所に拘置された。12月10日には起訴された。同じ日、同一の被疑事実の別件の容疑で再逮捕されている。この件では、検察官の勾留延長申請が12月20日に却下された。さらに翌21日には特別背任容疑で再々逮捕され、今年1月11日に起訴された。
その後、ゴーン氏は二度にわたり、保釈申請したが、1月15日と1月22日の2回にわたり保釈請求が却下され、東京拘置所における拘置が継続されてきた。2月28日に3度目の保釈請求がなされ、3月5日に保釈が許可され、検察官による準抗告も棄却され、6日に、ゴーン氏は自由の拘束を解かれ、保釈された。
ただ、この保釈には10億円の保証金を積むほか、監視カメラの設置、海外渡航禁止、パソコンや携帯電話の使用制限などのきびしい条件が課されていたという。4月4日には、再度東京地検によって特別背任の別件で逮捕され、再保釈されたことは前述した。
多くの海外のメディアは、ゴーン氏に対する保釈が認められず、このような長期の拘置がなされ、取調べが継続されてきたこと、取調べに弁護人の立ち会いが認められていないことなどを取り上げ、日本の捜査実務が、確立した国際人権基準に反すると主張している。したがって今回の事件は、ゴーン氏個人の問題だけでなく、日本全体の問題としても論じられているのである。
国際人権基準と乖離する日本の刑事司法
カルロス・ゴーン事件は東京地検特捜部の捜査にかかる事件であり、警察捜査にかかる事件ではない。ゴーン氏は代用監獄・警察留置場には収容されていない。収容されてきたのは法務省が管理する東京拘置所である。しかし、起訴前の保釈の不在、保釈拒否理由としての「罪証隠滅」の問題、取調べが一つの事件について23日間(勾留延長された場合)継続され、その間捜査機関の取調べがつづくこと、事件を細分化して再逮捕をくり返せば、さらに長期間身柄の拘束が延長されること、取調べに弁護人が立ち会えないことなどは、えん罪の温床として、国際人権機関からくり返し改善が求められてきたことと共通している。問題点を整理してみよう。
長すぎる捜査機関の取調べ期間と取調時間
自由権規約9条3項は、「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留された者は、裁判官又は司法権を行使することが法律によって認められている他の官憲の面前に速やかに連れて行かれる」と定めている。この規定は、捜査機関が被疑者に対して強制的に取調べ可能な勾留期間は逮捕後24~48時間に限定したものと解釈されている。じっさいに取調べがなされるのは数時間までが一般的である。それに対して、日本では23日間×事件数の期間、取調べが継続され、1日の取調時間は朝から晩まで長時間つづく。このような制度は国際的に類似例を見つけることが困難であり、極めて異例なものである。
1980年代に代用監獄制度が国際的に非難された際に、日本政府は類似の捜査実務が、ハンガリー、フィンランド、韓国の国家保安法違反事件捜査、イギリスのテロ事件捜査にも見られると反論していた。しかし、これらの類似例は国際機関による勧告により順次改善され、数十日も捜査機関による取調べがつづくような制度は世界から一掃されてきた。おそらく日本だけに残っていると考えられる。欧米でも、被疑者が拘置所に行ってから捜査機関による取調べが行われることがまったくないわけではないが、それは、捜査官による面会(任意取調べ)として位置づけられ、被疑者には捜査官と会わない自由が保障されている。
逃走の恐れのない事件は、重大事件でも逮捕の数日後に保釈されるのが国際スタンダード
自由権規約の9条3項は「裁判に付される者を抑留することが原則であってはなら」ないと定めている。裁判所に事件が送致された後は、裁判所が保釈(条件付き釈放)することができるのが、自由権規約9条3項の要求する国際水準である。自由の拘束を継続する根拠は裁判への出頭の確保、すなわち逃走の防止に限定されなければならない。
取調べに対する弁護人立ち会いの否定
自由権規約14条3項(b)は「防御の準備のために十分な時間及び便益を与えられ並びに自ら選任する弁護人と連絡すること」と定めている。この規定は捜査の全過程において、弁護人の援助を受けられるようにすることを保障している。日本の実務において行われている異常な長期間・長時間の取調べを前提とすると、その全部に立ち会うことは絶望的とも考えられるが、国際的には、1人の被疑者について、取調べの平均時間は数時間が平均的な実務であり、接見のため23日間にわたって何度も警察に訪問している日本の弁護実務からすると、取調べの期間、時間が国際基準に沿って限定されれば、弁護人の取調べでの立ち会いは十分可能である。
全面的な証拠開示がなされていない
自由権規約14条3項(b)の定めている刑事上の罪の決定についての「十分な時間及び便益」は、捜査機関が収集したすべての証拠に対して、弁護人にアクセスする権利を保障することを求めていると解釈されている。捜査機関の手持ちの証拠に対する全面的な証拠開示は、アメリカだけでなく、ヨーロッパ人権裁判所、自由権規約委員会などによっても認められてきた。日本における証拠開示は、公判前整理に付された事件について、類型証拠、争点関連証拠に限って行われている。控訴審や再審では、裁判所の職権行使に依存する証拠開示手続きしか存在しない。
取調べのもつ意味を変えなければならない
歴史をさかのぼれば、ヨーロッパの国々でも拷問によって自白を獲得することが正式の捜査手続きとなっていた時代もあった。しかし今日、そのような考えは清算され、国際人権基準において、取調べにあたっては、逮捕時点における被疑者の弁解内容を記録しておくことであり、否認しているものを長時間取調べて、自白させるような取り扱いは否定されている。
日本においては、捜査機関による取調は、真実をあきらかにする、罪を認めさせて反省させるための手続きであると考えられている。2005年に愛媛県警でつくられた取調べ要領には「調べ室に入ったら自供させるまで出るな」「否認被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよ。被疑者を弱らせる意味もある」などと記載されている。この資料の存在については、警察も認めている。ゴーン事件で海外のメディアから問われていることの根源もここにある。このような取調べの位置づけを根本から変えなければならないのである。
解決のチャンスだった村木事件と検察証拠改ざん事件
日弁連は政府による拘禁二法案の提案以来約40年にわたって、代用監獄の廃止、取調べ期間・時間の制約、取調べの可視化、起訴前の保釈制度の導入、弁護人の取調への立ち会いなどを求めてきた。しかし、2006年の監獄法改正時にもこの課題は実現できなかった。
09年7月には元厚生労働省の村木厚子氏が逮捕され、10年9月に村木氏に対する無罪判決が下された。同時に朝日新聞が検察による証拠改ざんを公表した。10年10月には検察の在り方検討会議が発足し、刑事手続きの改革の気運が高まった。11年には法務省の法制審議会に「新時代の刑事司法制度特別部会」が設けられ、14年にその答申がなされた。
この答申により、取調べの可視化の進展、証拠リストの開示、国選弁護の拡大、公判前整理手続きの申立権などの一定の改革・改善は勝ち取られた。他方で通信傍受の対象犯罪の拡大と手続の柔軟化、ゴーン事件にも使われた司法取引の導入など、捜査機関側の権限も大幅に拡大された。そして、起訴前保釈や罪証隠滅を理由として保釈を拒否できる実務の改善、弁護人の取調べへの立ち会い、捜査機関が収集した証拠の全面開示などの改革課題は積み残しとなってしまったのである。
2019年10月徳島人権大会で問われた、日本の刑事司法の後進性
2019年10月徳島市で開催された日弁連の第62回人権擁護大会で、提案されていた三本の宣言と決議が採択された。
・「弁護人の援助を受ける権利の確立を求める宣言」
取調べ立会いが刑事司法を変える
・個人通報制度の導入と国内人権機関の設置を求める決議
・えん罪被害者を一刻も早く救済するために再審法の速やかな改正を求める決議
の三本の宣言と決議である。私も、もちろんすべての宣言・決議に賛成したが、 ここで問われている刑事弁護の実質化、国際人権保障システムの確立、再審法改正は、日本で速やかに求められている刑事司法・刑事拘禁制度の改革を求める意見だ。
弁護人が取り調べに立ち会うということは、欧米や韓国でも実現している。弁護人が依頼者である被疑者の取調に同席してアドバイスできることは、弁護士のあり方としても当然である。そして、この課題は、本校でも述べた、取り調べ受忍義務の否定、黙秘権の行使の実質化、取り調べ期間・時間の制限、起訴前の保釈の実現、代用監獄の廃止などの課題についても同時に取り組む必要がある。
国際人権保障をめぐるシンポジウムでは、ヘイトスピーチの深刻な被害、入管収容の長期化、子どもに対する虐待・いじめなどの深刻な人権侵害について、今の制度だけでは対応できていないことが報告された。
大崎事件の最高裁決定は、再審開始決定に対して、検察官抗告を認める制度の理不尽さを改めて浮き彫りにした。裁判が終わっているのに、証拠がなかなか開示されないことも、法制度の不備といえる。
この写真は昨日の3日のシンポジウムでのえん罪犠牲者・家族の東住吉事件の青木恵子さん、湖東病院事件の西山美香さん、布川事件の桜井昌司さん、足利事件の菅谷利和さん、袴田事件の袴田巌さんを支えた姉袴田秀子さんである。
えん罪が一人の人間のかけがえのない人生を破壊してしまう恐ろしい人権侵害であることが明らかにされた。私もいくつかの再審請求事件にかかわっている。再審法については、再審請求手続きにおける全面的な証拠開示と再審開始決定に対する検察官による不服申し立ての禁止を求める決議が採択された。これらの決議の実現は、どれも待ったなしの課題である。
問われているのは、日本国民全体の人権である
主要マスメディアには報道されないが、全日建連帯関西生コン支部の役員と組合員60人以上が、争議行為やコンプライアンスを理由に威力業務妨害などの罪に問われた。中には1年以上も長期に勾留されている組合役員もいる。
「ゴーン氏だけを特別扱いをするわけにはいかない」「日本には日本のやり方がある。文化の差」といった意見があるが、日本の刑事手続のもとでは今後もえん罪の発生は避けられない。日本国民に対する人権侵害を防止するためには、刑事司法制度そのものを改革するしかない。カルロス・ゴーン事件は日本の刑事司法・刑事拘禁者に対する処遇が国際人権基準から見て容認できないほど、時代遅れとなっていることをあらためて浮かび上がらせた。まず、このことを多くの国民が知る必要がある。この問題は法律家などの専門家だけでは解決できない。1人でも多くの国民が、みずからの人権状況の真実を知ることが、改革の出発点となるだろう。