社会契約論

2021年01月10日

ジョン・ロック著「改訂版 全訳 統治論」を読み、社会契約論と現代政治の課題を論ずる

いま、ジョン・ロック著伊藤宏之訳「改訂版 全訳 統治論」(2020 八朔社刊)を読み、ホッブスとロック、ルソーの社会契約論と現代政治の課題を論ずる
                         海渡 雄一
はじめに
 本書は、近代立憲政治の基礎を築いたとされるジョン・ロックによる名著の改訳である。刊行は2020年12月13日の最新刊である。訳されたのは、福島大学名誉教授の伊藤宏之氏である。同書の書かれた複雑な背景をわかりやすく説明した懇切な「訳者解説」が巻末に付されている。
 高校の世界史や大学教養部の社会思想史、ヨーロッパ近代の法思想史を学んだものであれば、ホッブス、ロック、ルソーはひとまとまりで社会契約説を唱え、これを発展させたものとして、その名を知らぬものはいないだろう。しかし、その原著を読んだことのあるものは、日本人には珍しいであろう。
絶対王政を擁護した(?)ホッブス

 ロックの先駆者であるトマス・ホッブズ(1588年-1679年)は、清教徒革命から王政復古期にかけてのイギリスの思想家であり、王太子時代のイングランド王チャールズ2世の家庭教師を務めた人である。
 彼の著書「リバイアサン」は、清教徒革命(1642年以降)後にフランスに亡命中に執筆され、イングランド内戦が終結してオリバー・クロムウェルの統治下にあったイングランド共和国に帰国した1651年に刊行された。ホッブスは人間の自然状態は「万人の万人に対する戦い」であり、絶対王政も、民からの信託を受けてその政治権力を行使しているとする。そして絶対王政において、王こそが単一の主権者であり、国の宗教までを含めて王が決定することができるとし、イギリスにおける絶対王政復活(1660年)を正当化しようとした。
 ホッブスの議論は支配者側から見た、その絶対王政の正当化のための哲学といっていいだろうが、当時の王党派が奉じていた王権神授説とは異なり、王党派からは無神論的、唯物論的であると批判された。その平等思想などに近代政治思想の萌芽を認める見解も有力である。
名誉革命を理論的に支えたロックの「統治論」

 これに対して、ジョン・ロック(1632-1704)は17世紀の英国の哲学者であり、当時のイギリスとフランスで猛威を振るっていた絶対主義王政による暴政に対して、著作だけでなく、実際の行動を通じて人間の自由とその尊厳が尊重された社会を実現するために立ち働いた思想家・哲学者である。

Portrait of John Locke


 ロックは、社会の起源を所有権(これには生命の保持なども含まれているようである)の維持に求める。所有権は自然状態においては守ることができない。個人の努力だけでは、所有権は守れず、奪われる可能性がある。それを守るため、所有物を持つ者同士が契約によって形成したのが国家だと考える。ここから、国家は所有権を侵害することはできない、という結論が導かれる。ロックは、所有権を侵害しようとする独裁政治に対しては、多くの財産を所有するブルジョワジーの立場から抵抗する権利があると説く。
 本書の237頁には、「人間は生まれつき、他の人あるいは世界中の人々と平等に、完全な自由と自然法の定めるあらゆる権利と特権を無制限に享受する権限が与えられているのだから、彼の所有権、つまりその生命、自由、財産を他の人による侵害や攻撃から保全する権力を生まれながらに持つだけでなく、他の者が自然法を侵したときにはそれを裁き、当然にその罪にふさわしいと信ずるままにこれを罰する力、犯罪が凶悪であり死刑が必要と思われるときには死刑にさえ処しうる力を生まれながらに持つ」と述べられている。しかし、政治社会が存在するためには、この自然な権力を放棄し、個人の私的裁判は放棄され、すべての当事者に対して公平で同一の規則によって共同体が裁判官となるのだと説くのである(238頁)。
 そして、国家共同体は刑法を定め、犯罪を罰し(法律を制定する権力)、社会以外の人々からその成員に加えられた危害を罰する権力(戦争と平和の権力)を持つにいたるのだと説明する(238頁)。ここから、議会に最高権力があるとし、もし立法部と行政部(国王)との間に矛盾が生じるならば、立法が行政に優位すると説き、議院内閣制の基礎を築いた。
 このようなロックの論述から、社会契約説は犯罪に対する対応として、死刑を肯定していると説かれることがある。しかし、おなじ社会契約説を説いたベッカリーアが、その著書「犯罪と刑罰」(1764年)で次のように述べていることをここで思い出しておきたい。同書は封建王政とキリスト教の圧力のもとで、刑事手続きにおける拷問の廃止と刑罰としての死刑の廃止を唱えた勇気ある書物である。初版は匿名出版であり、出版そのものが命がけの行為であった。
 ベッカリーアは、次のように説く。
「人間が同胞をぎゃく殺する「権利」を誰がいったい与えることができたのか。」
「どうして各人のさし出した最小の自由の割り前の中に、生命の自由-あらゆる財産の中でもっとも大きな財産である生命の自由も含まれるという解釈ができるのだろう。」(ベッカリーア「犯罪と刑罰」(風早八十二、五十嵐二葉訳 岩波文庫 1938年 改訳1959年)90ページ)
「人殺しをいみきらい、人殺しを罰する総意の表現にほかならない法律が、公然の殺人を命令する、国民に暗殺を思いとどまらせようとするために殺人をする-なんとばかげていはしないか?」(同上99ページ)
 ベッカリーアの社会契約論がホッブスの自然状態を出発点としていることは疑いない。ベッカリーアがルソーの影響を受けたと書かれている文献も多いが、ルソーは死刑を支持していた。私には、ベッカリーアは、ロックの思考の枠組みを踏襲しながら、死刑の廃止の結論を導き出しているように思われる。
暴政に対する抵抗権を認めるロック

 そして、ロックは政府の暴政に対して市民には抵抗する権利があると説いたことでも有名である。
「法が終わるところにはどこでも暴政がはじまる」(327頁)とし、「実力をもって抵抗すべきであるのは、ただ不正で不法な強制力の対してのみ」(328頁)と限定を付けながらではあるが、不正・不法な統治に対する実力による抵抗権を基礎づけているのである。
 この「統治論」は1680年ころに執筆され、1689年に公刊された。今この書をみると、キリスト教の神学書のような体裁を取ってはいるが、その扉には絶対王政を復活させ、イギリスをフランスの属国と化すとロックが考えた「ロバートフィルマー」の誤れる原理を覆すことを目的として本書は書かれたと宣言されている。フィルマーはピューリタン革命に反対し、熱烈に王党派として国王チャールズ1世を支持し、投獄されたこともある。『制限王政の無政府状態』(1648年)、『絶対王権の必要』(1648年)、『政府起源論』(1652年)を著わした。これらは、王権神授説に立って、絶対王政を擁護したものである。これに対して、ロックの『統治論』は、絶対王政に反対し、名誉革命(1689年)を成就させ、「君臨すれども統治せず」の立憲君主・議会制を志向した政治パンフレットのようにも見える。
人民主権を唱えたルソー

 社会契約説を唱えた三人目の思想家ジャン・ジャック・ルソー(1712年 - 1778年)は、フランス語圏のスイス・ジュネーブの人であり、「社会契約論」を1762年に著した。
 ルソーはその「社会契約論」において、社会契約によってすべての構成員が自由で平等な単一の国民となって、国家の一員として政治を動かしていく。だが、めいめいが自分の私利私欲を追求すれば、政治は機能せず国家も崩壊してしまう。そこで、ルソーは各構成員は共通の利益を志向する「一般意志」のもとに統合されるべきだとした。公共の正義を欲する一般意志に基づいて自ら法律を立法し、自らそれに服従する、人間の政治的自律に基づいた法治体制の樹立を呼びかけたのである。
議会選挙によらない政治革命の誘惑とその危険性
 主権者と市民は同一であるという人民主権論は、間接民主制、国民代表制とは異なる直接民主制を志向する考えであり、国民的な集会による直接民主制の可能性は、ジュネーブ市民の直接民主制が念頭にあったといわれる。そして、その後のフランス革命やパリコミューン、ロシア革命などの議会選挙によらない政治革命は、このようなルソーの考え方の延長に位置付けることができるであろう。
 私が大学生のころ、日本の左翼には、ルソーとマルクスが好きな方が多かった。私も、大学生の時代には、議会制民主主義は生ぬるく見え、ルソーの説く「直接民主制」こそが、目指すべき政治形態であると考えた時期があった。しかし、その後の歴史の流れを曇りのない目で見れば、「人民の意思」を標榜した革命政治体制は、一時の「光」をもたらす瞬間があるとしても、次の瞬間には「人民の意思」を代行する少数の独裁者のもとに権力が集中され、反対者に対する仮借ない弾圧体制を招いた。このような体制を改め、平和的にその政権を交代させることは容易なことではない。
市民社会と結合した議会政治こそが社会をより公正なものへと改革していくことができる
 議会政治を通じて税と社会保障によって富を再配分する社会民主主義、脱原発と再生可能エネルギーを志向する環境保護、ジェンダー平等などの具体的な政策目標を立法によって実現していく議会制の政治形態は、微温的な改革かもしれないが、この200年間のヨーロッパ政治史をみれば、市民の自由を保障しながら、社会の公正を実現していく道は、この途しかないと、私は思うようになった。もちろん、私の考える議会政治は、投票だけでなく、日々継続されていく市民主体の様々な政治社会運動、環境保護運動、人権保障のための活動などによって、補完され、そのような議会外の勢力の声が議会政治に反映される回路を伴っていなければならない。市民社会と結合した議会政治こそが目指されなければならないのである。
 いま、香港で自由と司法の独立のために抵抗を続けている闘士たちは、ロックの末裔たちであり、ルソーの末裔ではない。そして、彼らの闘っている相手は、議会による直接選挙を経ることなくして「共産主義」という名で「人民の意思」を僭称する「国家資本主義独裁体制」ではないか。
 ルソーの文学的な表現には、多くの人が魅かれる魔力がある。しかし、ルソーは徹底した思索家であり、「孤独な夢想者」であって、政治的に何かを成し遂げた人ではない。
今の私は、現実政治のなかで、すこしでもより良い選択肢を求めた実践家であるジョン・ロックの方に惹かれる。また、フランスの裁判官だったモンテスキューは、イギリスの立憲政治から影響を受け、当時のフランス絶対王政を批判する立場から市民の自由を守るため、1748年に「法の精神」を出版した。ルイ王朝ルイ15世の絶対王政下に、均衡と抑制による権力分立制を提唱することも勇気が必要だったことだろう。今年国会に提案され、多くの市民の反対で廃案となった検察庁法改正案は日本における三権分立の危機だった。これを止めたツイッターデモのような取り組みこそが、議会制を補完する市民のイニシアティブだと思う。モンテスキューの考え方もまたロックに近く、これを法学者として発展させたもののように思われる。そして、もうひとりを付け加えるとすれば、「社会契約論」を刑事法の改革の議論へと展開し「犯罪と刑罰」で拷問と死刑の廃止を唱えた刑罰改革者ベッカリーアにも、65歳の私は親近感を持つ。


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